高山宏 學魔_nonbot 身内と胎内 『失われた庭』の僕 21~25

身内と胎内 『失われた庭』の僕 21): 第一、渋澤龍彥がいるわけだ。しかし尊敬する相手となれば嵐寛寿郎とか火野正平とかこの頃では杉良太郎とか、妙な人たちばかり頭に浮かぶ。女ができれば前の女と切れなくては許されぬ世間なのであれば、その時の持ち合わせの一切を前の女に与えて出奔というのが..

身内と胎内 『失われた庭』の僕 22): 男と女のせめてもの、最低限の仁義である。からっけつで出る他ない。わずかな気概。子はうまれ、ぼくは即座に認知した。めったに会うことのなくなった三人の子らが、そしてこの宿命の子ありすが将来、戸籍書類を見てそこに互いに見知らぬ名を見出した時の衝撃と..

身内と胎内 『失われた庭』の僕 23): 怒りをどうしたものかと、さすがに不感無覚で通るぼくも、これだけはびくびくしている。そういう特異な暮しが始まって、もう10年だ。二軒にわかれて暮す都合7人の「家族」、というか一族。文字通り二人分働いてきたわけだが、なにしろ暮し向きも節税の顧慮も..

身内と胎内 『失われた庭』の僕 24): それどころではない日々だから、たくわえは「両家」でほとんどない。成功した団塊世代人の一人ということで雑誌に紹介されたりするたびに、中金持ち一軒分で二軒の中貧乏かとうそぶく。御覧の変則人生だから、他人と諺を共有できないぼくは自家製の..

身内と胎内 『失われた庭』の僕 25): こういう捨て台詞をいっぱい発明した。二倍かせいで暮し半分、とかとか、どうも怨みがましくていけない。自業自得、皆、笑ってそう言う。そういう、終りの始まりが1994年初頭だった。そこに送られてきた矢川澄子の新刊小説は、だから痛切だった。今回は熟読した。

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