鏡花幻想文学誌 異界/境界 40): 急いで加えておけば問題の美女が一種の奇跡療法をよくする「薬師様」の再来とされている点は看過し難く、その後連綿と続く、中心にケアテイカーとしての母/女を抱く異界に心の病を負った知識人が迷いこんで「療治」される型の日本異界文学の基本型がここにでき上った。
鏡花幻想文学誌 異界/境界 41): 明治30、40年代に不幸にして欧化近代の高速とともにその病理をも、日本は引き受けたやに思われる。義務教育の確立と自然を搾取対象にする新しいタイプのテクノクラートの再生産が当時の知識人を囲繞する環境である。大きな有機的生命との繋がりを実感できぬまま..
鏡花幻想文学誌 異界/境界 42): たとえば藤村操は投瀑の自死に追いつめられた。「悠々たる哉天壌、遼々たる哉古今」。それは藤村操にとっては絶望の原因だった。細分化に慣れた知性にとってはそうだったに相違ない。ところが少なくとも鏡花にとっては、それこそが「療治」だったのであって..
鏡花幻想文学誌 異界/境界 43): 異な連想ながら同時代心理学者ユングの所説と鏡花異界の構造との酷似を思わないわけにはいかない。ユングの理論が鏡花に当てはまるか否かという技術的な問題ではなく、19世紀末、我彼で同時に、近代を越えるものとしての夢に同じような目が向けられていたことに..
鏡花幻想文学誌 異界/境界 44): 改めて驚かされるのである。人間のさかしらな白日の意識の下に黝々と集合無意識という名の晦冥な領域が澱んでいる、とユングは言う。そして人間存在のごくごく表面の一部分を宰領しているに過ぎない自我が時として正道を逸れそうになると、この地下の異界から矯正の..
鏡花幻想文学誌 異界/境界 45): ためのメッセージが夢の中のさまざまなイメージとなって送りこまれてくる。そういう「元型的」イメージの典型が女、子供そして老賢者のイメージであると聞かされるに及んで、それこそ『高野聖』の美女、「小児」、「親仁」の三つ組(トリアド)でないと考える方が難しい。