今日は2026年3月1日日曜日。午前中から散歩に出ると、もうすっかりあたたかくて、オーバーがいらないくらいだった。今日から3月。春の訪れを感じる陽気。こころなしか、ひとびとの表情もあかるい。

ひたすら道を西へ西へと歩いていく。わたしが住んでいるあたりは緑がおおく、ただ歩いているだけでも四季の移ろいを感じることが出来るのだが、この方角はひろい農地がいくつもあって、特に植物の折々のうつくしさが目にしみる一帯である。その一角が、あざやかな色彩で染まっている。

河津桜が、ここ数日のあたたかさで満開になっていた。濃いショッキングピンクの無数の花々が、青空にまぶしい。同じ桜でも、淡くうすい花弁の染井吉野とは違って、河津桜や八重桜は、毒々しいほどの妖気があるように思う。

そういえば、ここ何年間というもの、花見をしていない。以前は三月も下旬になると連日あちこちに出かけては、憑かれたように桜を見て歩いた。上野、原宿、早稲田、御茶ノ水、目黒、吉祥寺、国立。もちろん地元の桜並木も愛でる。そのいのちは長くて二週間あまり。多少の予定を変更しても、文字どおりの時分の花を優先すべきだと思ったものだった。

おなじ桜でも、見る場所が変われば、受ける印象もまた異なる。おなじ場所であっても、その時々で見え方が違ってくる。西田幾多郎は、ひとが花と向きあうとき、わたしたちが花を見ていると同時に、花もまたわたしたちを見ているのだと述べたが、いわれてみると、ほんとうにそんな気持ちになってくる。花見とは、花とわたしたちが、共にちからをたずさえて、はじめてなされる行為なのだろう。

今年は、桜を見て歩いてみようか。花を見て、花に見られて、自分を染めあげる。そんな思いに、ひさしぶりにひたってみたい。

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