言葉について


このところ、言葉について考えることがおおい。言葉とはなにか。それは、人間だけがもっているもので、それをつかって読んだり書いたり、聞いたり話したりをして、わたしたちはそこから受け取った事柄について、わくわくしたりどきどきしたり、不安になったり怒ったりして、日々を過ごしている。言葉とは、なんと不思議なものなのだろう。

そんな言葉であるが、どうやら思ったことをただそのまま話したり書いたりするだけでは、言葉それ自体がもっているちからというものは、十分に発揮できないようだ。わたしたちが言葉を発するとき、それが書くことにしろ話すことにしろ、そこにはコミュニケーションへの欲望がある。それが相手の同意をもとめる説得という行為であったり、喜びの感情の共有であったりと、その内容はさまざまであるが、他者にたいして何かを伝えたいという思いはおなじである。

では、どうすればわたしたちは、言葉のちからを有効につかって、他者とコミュニケーションをはかることが出来るのだろうか。おそらく、コミュニケーションをとりたい相手やその状況に応じて、もちいる語彙や具体例、構成に気を配ることが、なによりも大切なのだろう。ズームインとズームアウトをくりかえすように、そのときどきに応じて言葉をつかうことで、相手の理解をもとめ、おなじ気持ちをわかちあうのだ。

誰でもかわいい幼児を前にしたときは、その子が聞いて理解出来るような言葉で話すだろう。あるいは片言の日本語で話す外国人にたいしては、簡単な言葉で、ゆっくりはっきりと発話する。いま目の前にいるひとのために、あるいは思いをのせた文字を読むひとのために、心配りをして言葉を紡ぐ。いい言葉とは、やさしさのあらわれなのかもしれない。

0