空き瓶通信0090 わたしと世界

Reinhardi / Pixabay

生きるとはどういうことなのか。もういい年だというのに、そんなことをよく考える。もっとも、ある程度の時間をこの世界で過ごしているうちに、そのからくりや自分自身について、なんとなくこのところわかってきたような気もする。

まず、世界について気がついたことを述べると、この人間が生きている世界はそれぞれの意思や欲望がぶつかりあう場所であるということを、いまさらながらとみに思う。ニーチェならばそれを力への意志という言葉で表現するのだろうが、人間とは少しでも自分を誇示し、利益を大きくするために我を通そうとするためか、まわりをみると、あちらこちらで、我の張りあいばかりが行われているようだ。

つづいて、わたし自身についての自己認識であるが、わたしはひどく感じやすいたちで、ささいなことを気にやむところがあって、それはまわりのひとたちの言動はもちろん、自分自身の行いにたいしても、いつまでもうじうじと悩み苦しむことがある。過ぎたことを頭のなかで繰りかえし思い出しては、そのたびごとにその場にいるような感情を反芻するのである。

ひとが生きるとは、この世界のなかに存在し、自分自身からはけっして離れることなく、時を過ごしていくことをいう。欲望がぶつかりあい、我を張りあう場であるこの世界において、まわりのことが気になって仕方がない気弱な人間が世を渡っていく。なんとも難儀なことではあるが、わたしはもうずっとそんなふうに生きている。

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