空き瓶通信0058 映画『ストーカー』

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ひとは孤独に陥ると、妄想するようになる。おそらくひとは妄想することで、まわりから断絶している自分の生き方やプライドを守るのだろう。そのように考えると、妄想とは防衛反応なのかもしれない。

だが時と場合によっては、その妄想が現実よりおおきな価値をもってしまって、そのひとの生活のすべてを支配するといった事態にもなりうる。映画『ストーカー』は、まさに孤独な男が抱いた妄想の物語である。

ロビン・ウィリアムズ演じるサイ・パリッシュは、大規模スーパーの片隅にあるフィルム写真をスピード現像するサービスカウンターに勤務している、さえない独身男である。顧客はスーパーに日用品を買いにくるふつうのひとたちで、つぎつぎともちこまれるフィルムには彼らの何気ない日常が映し出されている。写真を現像する過程において、サイ・パリッシュは、いやでも無数の家族の姿を目撃することになる。

そんな多くの顧客のなかでも、サイ・パリッシュはある家族のことがお気に入りだった。その理由は、彼らがとびきり幸せそうだったからである。若くエネルギッシュな夫と美しい妻、そして利発そうな少年。経済的にも恵まれているその家族は大きな邸宅に住み、週末はパーティーに興じたり旅行に行ったりと、人生をエンジョイしている。

そんな彼らの家族写真を現像しつづけているうちに、サイ・パリッシュは自分が彼らから家族の一員として受け入れられている姿を妄想するようになる。ファーストネームで親しげに呼ばれ、互いに微笑みあうそんな姿を、彼らの写真を見つめては、ひとり妄想するのである。

他人の写真を見て、勝手にありもしない関係性を思って、妄想にふける男。こんなに気持ち悪いものはない。そんな不気味だが、ひどくリアリティーをもった存在をロビン・ウィリアムズは演じているのだが、おそらくこのサイ・パリッシュのような人間は、この世界にいくらでもいるのではないかと思う。

その理由は、この世界が孤独な人間であふれているからにほかならない。わたしたちの住む世界は、いまやこころのかよった交流などはほとんどなくて、本心を明かす相手をただのひとりももつことのない人間たちであふれている。わたしたちは、無数のサイ・パリッシュと生きているのだ。

この映画には、幽霊も殺人鬼も出てこない。だが、こんなにも不気味で気持ちの悪い映画は、ほかにない。

ストーカー 予告編 -One Hour Photo-

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