空き瓶通信0079 映画『トータル・リコール』(1990年)

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『トータル・リコール』をみていると、あたかも自分が藪の中に迷い混んでしまったかのような気持ちになってくる。話が入り組んでいるうえに、それぞれの立場の人間が偽りの情報を口にするため、どれが本当でどれがうそなのか、分からなくなってくるのだ。

物語は、アーノルド・シュワルツネッガー演じる主人公ダグが、火星の夢を見るところからはじまる。毎晩のように火星にいる自分の夢を見ては、うなされて起きる。ダグは、そんな生活をもうずっとしているのだ。夢の内容があまりにリアルであることもあって、ダグは火星のことが四六時中あたまから離れなくなり、せめてものなぐさめにバーチャルな火星への脳内旅行でもしてみようと思いたつ。

わたしたちの記憶というものは、ほんとうに自分が経験してきたものなのだろうか。場面が展開するたびに、そんなことを思って、少し不安になってくる。いかに記憶というものが脆弱であり、だがその記憶というものによってしか人間は自己認識が出来ないということを、『トータル・リコール』は、いたいほどについてくる。

この映画の魅力は、物語だけではない。映像面においても、驚異的な冒険が待っている。とくに火星の住人たちの姿は、さまざまな意味で見ているものをぞっとさせる。よくこのような造形表現を考え、それにゴーサインを出し、実際に作品として発表をしたものだと思う。もし現代の日本でこのような映画が製作されたら、おそらく各方面からクレームが山のように来て、映画の上映が中止になってしまい、製作者は映画生命を絶たれてしまうのではないだろうか。わたしたちが住む社会における表現をめぐるここ数年の状況を考えると、そんなことを思ってしまう。

映画とは、多層的な芸術である。映像があり、そして物語がある。すぐれた映画はこのふたつがバランスよく溶けあっていて、見るものを時間いっぱいあきさせない。『トータル・リコール』は、映画とは総合芸術であるということを再認識させる作品である。

トータル・リコール(1990年) 日本版劇場用予告篇

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