空き瓶通信0089 夜にひとり

このところ、夜中に不意に目があく。それも、二度三度である。ふたたび眠ってしまうこともあるが、三時くらいだったら、そのときの気分にもよるがそのまま起きてしまう。

勤め先があるわけでもなく、自分の裁量で生活をしているので、毎日の予定はどうとでもなる。起きだして気持ちが高まっているうちに何かしら一仕事すませてしまうのが理想的なのだが、なんとなくはじめたネット検索をしているうちにずるずると時間がたってしまい、気がつくと1時間2時間という時が過ぎていたということが多々ある。

すんなり本でも読めれば何の問題もないのだが、いちばん困るのは、ああでもないこうでもないと、過ぎたことを思うことだ。夜中にひとりきりの状態で、海の底のような静かな時間にひとりネガティブな思いにとらわれるのは、精神衛生上ほんとうによくない。思考が堂々巡りになるか、極端な感情に襲われて、自分をもてあますことになる。

そう考えると、夜の時間を宝石のように価値のあるものにするためには、昼の時間をいかに過ごすかにかかっているのかもしれない。太陽の下で恥じることなく、堂々としたいことして、なんの不満もためこまなければ、夜中に不意にひとりきりにさせられたとしても、そうそう偏った考えや思いはうかばないだろう。

もっとも、そのようなことは言うは易しというもので、この世界は自分ひとりで生きているわけではないがゆえ、他者とのかかわりが生じると、かならず不満が生まれてくる。自分の思いどおりに他人が動いてくれることなどまずなく、わたしたちはそれぞれに不満をため、こころをすり減らして生きている。

夜中にひとり起きだして、自分のこころに去来する思いを見つめる。うかびあがっては消えていく思いを追いかけることは、瞑想とも座禅ともつかない。

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