石岡瑛子『私デザイン』


本書『私デザイン』は、石岡瑛子が自らそのキャリアを語っていく、いわばクリエイティブな面における彼女の自伝といったかたちをとっている。読んでいると、石岡瑛子が生きていた毎日がまぶしくて、思わずくらくらしてくる。彼女がともに仕事をするひとたちは、フランシス・フォード・コッポラやマイルス・デイビスなど誰もが知っている綺羅星ばかりだ。石岡瑛子は、そのなかをくるくると飛びまわって、美を生み出しつづけたのである。

石岡瑛子の仕事は、文字通り横断的だ。広告デザインからキャリアを出発させたこともあっていちおうの肩書きはデザイナーということになっているが、映画や舞台のセットや衣装をアートディレクターという立場でこなし、果てはオリンピックにまでかかわるという、文字通りの多才ぶりである。

石岡瑛子の作品は、かつてあったものや現にあるものを写実的に再現するものではなく、いままでなかった視覚表現をめざすものだった。残念ながら、本書には彼女の作品は冒頭にいくつか掲載されているだけなのだが、それらを見るだけでも、石岡瑛子のめざした地平はわたしたちが目にしたことのないものだったということがよくわかる。

石岡瑛子は、本書において12の仕事について、それが依頼された経緯にはじまって製作途中におけるトラブル、そして綺羅星たちの素顔などをあますことなく語っているのだが、石岡瑛子の書きつける言葉はとても新鮮で、思わずひきつけられる。石岡瑛子がいうところの、ふだん「視覚言語」で話をしているひとは、一般言語においても鋭い感性をもっているものなのだろう。

『私デザイン』を読んで思ったことは、創作とはけっして孤独な作業ばかりではないということだった。一般的に創作活動というと、文章を書いたり絵を描いたりといったひとりですることばかりを連想するが、石岡瑛子が活躍したデザインというジャンルにおける創作行為は、デザイナーのイメージを三次元化する過程が必要となることもあって、デザイナーのひらめきを実際に目に見えるかたちにしていくクラフトマンや、それ以前に自分を指名した監督やプロデューサーといった立場の存在が、つねに自らの創作にかかわってくる。デザイナーとは、チームの中で仕事をする創作者なのである。

石岡瑛子の毎日もまた、チームで動くものだった。才能あるもの同士があつまってひとつの作品をつくり、それが終わるとまた別の天才から声がかかって、こんどはそちらにかかりきりになる。石岡瑛子はそんなふうに、世界を遊び場にして生きたのだ。

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