皮膚という心


何の前触れもなく、右手の親指がひびわれをおこしてしまって、痛くて仕方がない。利き手の親指ということもあり、何をするにも不便で、億劫である。いまこうしてキーボードを打っていても、右手の親指をつかわないだけなのに、なんだか要領を得ない。指先の痛みに、自分が支配されてしまっている。いまのわたしには、皮膚が気持ちを左右する。

わたしは生来肌がよわく、特に冬場は手首から先が赤くなってしまったり、指の背の皴が入っているところがあかぎれになるなど、毎年つらい思いをしているのだが、いままででいちばん辛かった時期といえば、新型コロナウイルスが世を席巻していた、あの数年間だった。

あのころは、どこにいっても手先の消毒を要求されて、そのたびにアルコールを手に擦りつけたものだったが、わたしにとってあの行為は、たいへんつらいものだった。なにしろ皮膚が弱いのである。あれをやるたびにすぐに荒れてしまって、治らないうちにまたアルコール液を擦りつけるものだから、あっという間に手が真っ赤になってしまって、割れ目が出来ては血が滲みでて、痛くて痛くて、地獄の苦しみを味わったものだった。

人間のからだというものは、たいていは鍛えることでつよくなるというが、ひとの肌はそのようには出来ていない。わたしはこれからも、うすい皮膚に気を揉みながら、生まれもった体質のまま、生きていくしかないようだ。

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