空き瓶通信0074 土蛙があらわれた

Capri23auto / Pixabay

台風がくるといわれていたが、上手い具合にそれてくれたようだ。だが秋の長雨ということで、ここ数日は雨が続いている。そんな雨の中、裏庭にゴミを置きにいったところ、土蛙がでていて、懐かしく見入った。

かつてわたしの庭にはそれはそれは大きな土蛙がいて、のそのそとあらわれては、この土地の主のような顔をしていた。子供のわたしは、いつも突然やってくるその生き物に、何か神秘的なものを思って、いつもみつめていたものだった。

残念ながら、その大きな土蛙はある時期を境に見なくなってしまったのだが、かわりに二代目なのだろうか、身体のちいさな土蛙が来るようになった。今回目にしたのは、その土蛙なのだろう、げんこつふたつを重ねたよりかはいくらか小さい身体をしていた。

土蛙は塀に顔を向けて、じっと座っていた。ぼやっとした目をして、じっと動かないそのすがたは、瞑想をする行者のように見えた。こういう小さな生き物にも感じたり考えたりするちからがあって、きっとそのときどきをさまざまな気持ちで生きているのではないか。あまりに堂々としたそのさまをみていると、そんなことを思いたくなる。

ただ、申し訳ないことに、わたしが近づきすぎたのか、土蛙は大きく跳ねだしてしまった。跳ねた先には、この雨で落ちてしまった金木犀の花のあとが絨毯敷きになっていて、そのなかを跳んでいくごとに、背中には橙色の花弁がついていく。遠山の金さんのようになった土蛙。生き物は大切にしなければならないというごくあたりまえのことを、わたしは思った。

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