高山宏 學魔_nonbot 身内と胎内 『失われた庭』の僕 57~62

身内と胎内 『失われた庭』の僕 57): このY.Z は作中一貫して、「『LOST ・GARDEN』の受け手」、という名で出てくるのであって、作品の終る直前、Y.Z 邸焼失し、その母焼死というくだりではじめてY.Z と符号化されて出てくる。作中に終始アルファベット化されぬ唯一の人物が、さいごのさいごで..

身内と胎内 『失われた庭』の僕 58): はじめて符号になる、ついにその聖性を「失われる」という構造は実に意味深長だと思う。仲々考えられた作らしいのだ。なぜなら先に出たA.D とB.C の一組みに加え、登場人物がE.H 、F.G 、その姪がI.G 、E.H の助手がJ. K だからAからKまで11文字を..

身内と胎内 『失われた庭』の僕 59): ひとつ残らず連続的に使っている。このランダム性には人間なんて所詮符号の離合集散にしかすぎないという根本的感覚と、それに発する順列組合せの奔放な遊びがあって、執筆当時キャロル関係の仕事を併行していたノンセンス好きの(高橋康也氏の、矢川氏自裁に.

身内と胎内 『失われた庭』の僕 60): ひき続いた他界も衝撃。黙祷)作者のレットリスムに感心する。文字偏愛とでも訳すか。感心する理由は、そういう誰がどの文字でも構わなさそうに恣意的なものでありながら、たとえばF.G をその「父性」で抱きとめてくれるE.H との関係は、E.F.G.Hという、淡々と..

身内と胎内 『失われた庭』の僕 61): 連続するように見える4文字の、しかし真中のFGを前後のEとHがそっくり「抱擁する」というスペーシングに端的に表わされているのだろうし、F.G とその姪だけが文字をひとつ共有できているのは唯一生命的レヴェルでさえ融通し合えるのが(縁者という法的な保証の下に)

身内と胎内 『失われた庭』の僕 62): この二人の女たちだけだからである。同じ姓だから当然などと言う向きには、この作品に限りどうもそうではなさそうだよと言いたい。むしろ血縁とはそれ以外の関係と比べてどういうものなのかを、一見ただの記号にすぎぬアルファベットが見事に意味しているのだ。

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