空き瓶通信0069 原田宗典『おまえは世界の王様か!』

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原田宗典について語るとき、まっさきに思い出されるものといったら、やはり『スバラ式世界』をはじめとする、電車の中では絶対に読めないような数々の爆笑エッセイであるだろう。それらの内容を彼の語彙を使って乱暴に要約するならば、「ダバダ~と優雅にコーヒーを飲んではズビズバと興奮し、医者運の悪さにひたすら困惑しては、本当にリンダ困っちゃう」ということになるだろうが、原田宗典はそんな面白おかしな文章をつづるかたわらで、良質の小説を書きつづけている書き手でもある。あまりにエッセイの人気がありすぎて、こちらの仕事は目立ってとりあげられることがないが、彼の書く小説、とりわけ短編はレベルが高く、わたしは彼こそが近代日本文学の中心ジャンルであった「短編」という表現形式の系譜を、折り目正しく受け継いでいる書き手なのではないかとすら、ひそかに思っている。

この『おまえは世界の王様か!』は、大学時代に作家になることを夢見ては読書をしていた原田宗典が当時書きとめていた読書記録を、20年後に作家となった自分自身が読み返していく楽しい本だ。わたしたちは、いつものように彼のリンダ困っちゃう的な文章を楽しみながら、原田宗典というひとつの才能をかたちづくっていった彼の青春の読書の過程を、目にしていくことになる。

それにしても、本書を読み進めていて驚かされるのは、これだけの読書をこなすことはもちろんのこと、それぞれの感想をカードに書きとめていくその情熱である。細かい字で作品のひとつひとつに対して感想をしるし、分析を加えていくというのは大変な労力である。そのような労力を厭わぬことこそが若さであり、また作家になることへの情熱のあらわれであるのかもしれない。

カードに書き付けられた作品に対する批評は鋭い。若い原田宗典は、臆することなく名だたる文豪たちをけちょんけちょんにやっつける。例えば、第一章では三島由紀夫が取りあげられているのだが、そのなかで青年原田宗典は、やれ華族だやれ学習院だと、何かにつけてハイソな設定をもちだす三島由紀夫を、陳腐な野郎だとぶった切る。至極まっとうな意見であると思うが、これはふつうに文学にかかわり物を書いている人間であったら、文豪三島由紀夫という評価の前でたじろいで、けっして口にしない言葉である。だが若い原田宗典には、そんなことはまったく関係ない。王様には、侵すことをためらう権威など存在しないのだ。

おそらく著者は、これらのカードを見ているうちに、さまざまなことを思い出したに違いない。記憶とは、何かをきっかけにして、芋蔓式に思い出していくものである。プルーストのあの大きな小説の主人公の場合はマドレーヌを口にした時だったが、彼の場合はカードに綴られたたったひとつの言葉や日付をきっかけに、鮮やかなフラッシュバックを体験したのであろう。過ぎ去ったはずの時が、一気に蘇る。それは、人生における最高の瞬間である。青年の夢と文学への情熱がつまったこの一冊を、あなたはどのように読まれるだろうか。

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