
しばらく前のことになるが、ネットニュースを見ていたら、「Netflixで「ガス人間」を配信」という文字が並んでいた。「ガス人間」といったら、昭和の特撮映画「ガス人間第一号」である。記事を読んでみると、その「ガス人間第一号」のリメイク版がこのたび制作されたとのことだった。おそらく現代版を見ることはないと思うが、いい機会なので「ガス人間第一号」について、思うところを書いておく。
わたしは、この作品を気にいっていて、いままでに何度も見ている。もともとはどのようなことがきっかけで見ることになったのかは思い出せないのだが、いまはもう潰れてしまった北口のレンタル店で借りてきたことだけは確かだ。
ひとり夜更かしをしたその夜に、だらしなく飲み食いをしながら見た記憶がある。ある時期のわたしは、そんなふうにしながら、夜中に妙な映画をたくさん見たものだった。いまふと思い出したが、「唇によだれ」という白黒のフランス映画を見たのもそのころだった。人生の一時期、そんな時間のつかいかたをすることは、けっして悪いことではないのだと思う。
物語は、連続する銀行強盗をめぐって展開される。これらの事件、なんとも不思議なことに、各犯行現場において実行者は文字どおり霧のように消えてしまっていて、犯人像がまるでつかめない。犯人を追いかける刑事と、彼が偶然行き合わせた日本舞踊の家元をつとめる女と、そしてその女に入れ込む謎の男、この三者を軸に、話はすすんでいく。それぞれが近づいては離れ、離れては近づく。そんなことを繰り返しながら、物語は結末へと向かっていく。
そのタイトルどおり、ガス人間の特撮映像がこの映画の見所なのだろうが、わたしがもっとも心惹かれたのは、物語中盤に出てくる図書館である。図書館が印象的な映画といったら、実写ならなんといっても「セブン」であり、アニメ作品なら「耳をすませば」ということになるだろうが、本作の図書館もまたすばらしい。電子化や個人情報といった面倒くさいこととはまるで無縁な昭和の図書館は、なんともいえない魅力がある。
この「ガス人間第一号」、リメイク記念ということなのか、この2026年の秋から冬にかけて、TOHOシネマズをはじめとする全国の映画館で上映されるようだ。ふたたび訪れることはないであろうこの機会、物語へのさらなる没入をもとめて、映画館でガス人間と相見えるのも一興である。