
この春から、自然について学んでいる。何年か前から、人間より他の生き物のほうがずっと立派で知性的なのではないかと漠然と思うようになり、以来小さい時のように虫や植物に目が行くようになったのだが、これはわたしの人生にとって、値千金の鉱脈を見つけたに等しいものだと思っている。
動物も植物も、人間と同じこの地球に存在しているが、その生の実態はそれぞれに全く異なる。いのちの長さはもちろん、その構造まで違っている。ものの見え方ひとつとっても、その視野の広さや知覚する色といったものは完全に別のものとなり、生き物ごとにこの世界に対する認識の違いが存在する。どれがいい悪いということではない。それぞれの生存戦略の違いによるものである。
そうなると、これひとつが正解で、他は間違いというものの考え方は、まったく意味をなさないという心境になってくる。すべてのものは違っていて当たり前であり、それがこの世界をかたちづくっている構造であるということが、身に染みてわかってくる。
人間はどうだろう。あいつの考え方は変だとか、劣っているとか、そんなことばかりをお互いに言い合って、いらいらして過ごしている。
それぞれに違っているのが当たり前だと思えば、そんな気持ちもなくなるだろう。だが、それが難しい。人間は長い物に巻かれるのをよしとして、自分と異なる者や弱い者、少数の者を攻撃することで自らの安全を確保しようとする習性があって、始終醜態をさらしている。自らの意識に囚われて生きざるを得ない人間とは、もっとも悲しい生き物なのかもしれない。