鏡花幻想文学誌 異界/境界 21): 「私」と別れた聖は「雪中山越えにかゝる」ことになっている。以前も同じようにして峠を越えるうち「魔処」に入りこんだのに相違ない。今や聖は「私」の分身であり、無知な半身を冥府降下の教育の旅に連れだす「魂の導者(プシュコポンポス)」であるのに相違ない。
鏡花幻想文学誌 異界/境界 22): この夢幻能の構造に酷似した話〈中〉話は、たとえば敦賀の宿で休んだ「私」が宿屋の夢枕に見た異界なのかもしれない、というふうに物語はできている。聖と同化した「私」の半身が入りこんだ「魔処」は一言にして言えば両義性の世界である。
鏡花幻想文学誌 異界/境界 23): 分けることがすなわち分かることだという近代合理主義の知や教育のシステムは一途に分化と範疇化をめざしてきた。最悪のケースがピュリタニズム的な二項対立(ダイコトミー)のモデルである。文化/自然、人間/動物、男/女、大人/子供…といった、相関連し合った..
鏡花幻想文学誌 異界/境界 24): 二項対立を束にした制度を中央権力が掌握した。従って「魔処」はいやが上にも「相反物の一致」するグロテスクリーを実現せねばならない。富山の売薬が危険な道に入ったらしいのを救おうとして聖は岐路に立つ。「路は此処で二条になって」いた。
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