手書きのちから


漱石の手紙が2通見つかったという。ひとつは「坑夫」を単行本化したいと申し出て来た出版社に断りを入れる内容で、もう1通は面会の求めに対して書面でのやりとりを希望するものだという。ともにその存在自体が知られていなかった手紙だそうだ。

いわゆる発掘物であるが、文学関係では、時折このようなことが起こる。先だっても大江健三郎のまったく知られていなかった学生時代の短編小説がふたつも見つかった。世間に知られることなく埋もれていたものが、長い年月を経て思いがけず日の目を見る。なんともいえない感慨をおぼえる。

このような思いがけない発見にかんしては、やはり物それ自体がもつちからというものを、思わざるを得ない。そのひとの自筆によるものだからこそ確信をもって新発見と断定できるのだろうし、当然ありがたみも生まれる。これがデータ保存されたものだったりプリントアウトされた紙の束だったりした場合であると真贋の判定には手間取るだろうし、勝手ながら外野としても受ける印象はだいぶ違ってくる。

手書きの原稿用紙からは、作家が自分のイメージを言葉に落とし込んでいく格闘の過程が見えてくる。いっぽう、コンピュータで入力された文章はきれいに完成されたもので、そこにいたる変遷の一切が隠されてしまっている。パソコンで執筆する現代の書き手たちによる未来の文学館は、いったい何を展示するのだろう。『さびしい文学者の時代』という本があるが、そんなことを思ってしまう。

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