空き瓶通信0094 いろんなわたし

わたしは物持ちがいいほうで、たいていのものは捨てずにとってある。先日、学生証がいろいろと出てきた。本来なら学生証というものは卒業と同時に返却するものらしいのだが、わたしは学校にろくにいかず、果ては卒業式をボイコットしたりと好き放題に学生時代を過ごしてきたので、そのあたりのことがうやむやに終わったらしい。

見つかった学生証は、中学、高校、大学と各種ある。それぞれの年齢のわたしがよそ行きの顔で写真におさまっているのだが、変化の多い成長期ということもあって、とても同じ人間とは思えない。

中学一年生のときの写真は、まだほんの子供である。白黒写真ということもあってなんだかひどくはかなげで、不安げな視線をこちらにむけて身を硬くしている女の子といった印象のわたしのすがたがある。わたしはこんな顔をしていたのか。こんな顔をして毎日を懸命にすごし、そのときどきにさまざまな喜びや不満、そして欲望を抱えていたのか。とおい他人を見るような思いで、わたしはかつてのわたしを見る。

高校のときの学生証は、三枚もある。なくしてしまって再発行をしてもらったものの、後になって出てきたというのがその理由なのだが、まあ弱そうな顔をしている。いまにもカツアゲにでもあいそうな顔をして、ぼやっとした目をしている。これらの写真をみた弟は、これじゃ社会でやっていけないと一言いったが、わたしもそう思う。

大学の学生証の写真は、一転して強そうな顔である。ふてぶてしい雰囲気がぷんぷんしている。ひとの顔は、だいたい20歳前後でかたまるのだろう。顔立ちは現在と同じである。

もっとも、そのときどきのことを振りかえってみると、自信なさげに見える高校生のときのわたしは、たくさんのいい友達に恵まれ、自分に自信をもって毎日を楽しく生きていた。あのころは、ほんとうに楽しかった。ろくに学校にはいかないのに毎日何人もの友達や仲のいい先生と電話をしたり、平日の昼間から連れだって美術館にいったりしていた。

反対に、自信満々な顔にも見えなくもない大学生のわたしは、ほんとうに心細い思いで毎日を過ごし、また同時に内面は不満だらけだった。高校とは一転して大学では親しい友達がまるで出来ず、自分にも自信がなくなって、おおげさではなく、地獄のような毎日だった。

同じひとりの人間でも、顔立ちというものは、そのときどきでこうも変わるものなのか。顔は人生の履歴書などという言葉があるが、私の場合、とおりいっぺんの観相学というものは、どうやら当てはまらないようである。

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