あいみょんの「マリーゴールド」は、すてきな歌である。聴いているとふしぎな郷愁にさそわれて、ありもしなかった情景までもが浮かんできて、なんだか泣きそうな気持ちになってくる。
あいみょんは、「麦わらの帽子の君が 揺れたマリーゴールドに似てる」とうたう。「麦わら帽子の君が」ではなく、あくまで「麦わらの帽子の君が」とうたう。麦わらの帽子と麦わら帽子。「の」という一文字があるだけなのに、ニュアンスがまったく異なってくるから、言葉とは不思議なものである。
言葉づかいには、そのひとのすべてがあらわれる。ある状況をまえにしてえらばれる語彙はもちろんのこと、口調にもそのひととなりがあらわれる。だが、言葉とひととなりについて考えるとき、わたしは助詞にこそ、そのひとの言葉にたいする態度や、あるいは世界との距離のとりかたが浮かびあがってくるのだと思っている。
「マリーゴールド」は、楽曲そのものだけでなく、プロモーションビデオもすばらしい。スケートボードで雨のなか異国の街を行くあいみょんは、あたかもマリーゴールドが風に舞っているようで、いつまでもその姿を追いたくなる。
あいみょん – マリーゴールド【OFFICIAL MUSIC VIDEO】
↓↓↓読んだよ!
0