空き瓶通信0030 アルバート・アインシュタイン ミレヴァ・マリッチ・著 『アインシュタイン 愛の手紙』

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俵万智に「ダイレクトメールといえど我宛のハガキ喜ぶ秋の夕暮れ」という歌がある。何となく物悲しいときに、ふと見たポストに入っていた、自分宛のダイレクトメール。いつもならなんとも思わないけれど、そんな気持ちのときは、そのダイレクトメールひとつにこころが救われる。この世界のなかに、自分のことをおぼえていてくれたひとがいる。相手はただの商売なのに、勝手にそんなことを思って、なんだかこころが弾んでくる。郵便物とは、かくなるちからを持っている。わたしは葉書や手紙をいうものについて考えるとき、いつもこの歌が思い浮かぶのだ。

片仮名で打ち込まれた名前と、その脇に整理番号が振ってあるだけのあの無表情なダイレクトメールでだって、嬉しくなるのが人間である。いわんや、それが愛するひとからのものだったら、どんなにも素敵なことだろう。この『アインシュタイン 愛の手紙』は、青年時代のアインシュタインが、のちに結婚することになる恋人ミレヴァ・マリッチと交わした手紙の数々がおさめられていて、読んでいて胸があつくなる。

この結婚はのちに失敗に終わることになるのだが、それを暗示するかのように、ふたりの恋は波乱に満ちたものだった。家族の反対、定職探し、そして未婚のままの出産といった出来事が起こる5年間に、これらの手紙は交わされている。

恋は、障害が大きければ大きいほど燃えあがるものだ。すべての恋は、その当事者にとって奇跡である。だからアインシュタインは、愛するこのひとのために、さまざまな場所からせっせと手紙を書き続ける。この奇跡をよりいつくしむために、あらゆるものを向こうにまわして、さまざまな努力をする。

ふたりに会ったこともないくせに、読みすすめていくうちに、それぞれの性格が手に取るようにわかってくるから、手紙とは不思議なものだ。特にアインシュタインの手紙には、ある時期の男の子特有の、矢でも鉄砲でも怖くないという青い矜持が見え隠れして、それがたいそう微笑ましい。そんな姿勢は恋愛にだけではなく、学問にも向けられる。教授を罵倒したおして、読んだ本について熱っぽく語り、自説を披露する。そこにあるのは、愛するひとの前で自分を少しでも大きく見せようとふるまう、どこにでもいる希望と野心で胸いっぱいの青年の姿である。

手紙の束が見つかったとき、専門家はこのなかに相対性理論をはじめとする、のちのアインシュタインの閃きの萌芽を見つけることが出来なくて相当がっかりしたらしいが、わたしにはそんなことは抜きにして、これらの手紙は十分に魅力的にうつるのだ。
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