ほかのひとにとってはただのガラクタであったとしても、それをかけがえのない宝物のように感じる。そのような経験を、誰もが子供時代にもっている。メッセージというものは、子供がどこかでひろってきた宝物のようなもので、受け取ったひとが、ああ、これはわたしにとって価値があるものだと思った時にはじめてかがやきをはなち、意味を持った何かとなる。
つまり、メッセージというものはあくまで事後的な存在で、受け手がいて初めて、メッセージたりうるのである。
届かないかもしれないと思いながら、それでも手紙を瓶につめて大海原に流さざるをえない。物を書くとは、表現をするとは、そのようなことなのかもしれない。そんな気持ちで、このブログをつづっていこう思う。
わたしの声は、届くだろうか。あなたに、届くだろうか。
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