空き瓶通信0014 きらきらとかがやくもの

monicore / Pixabay

今日は、2020年3月24日火曜日。

このところ、めずらしく仕事上で必要な作業に追われていて、このブログを一切見ることがなかった。ゆっくりと、好きなことを考えたり書いたりする時間もなかったし、だいいち、そんな気持ちにもなれなかったのである。

さて、このブログが始まってから、ずっと新型コロナウイルスの話ばかりだが、そのような世の中になってしまったのだからしょうがない。

わたしは、ある時期から、これはわたしたちの世代の戦争体験として、記憶されるのではないかと思うようになった。それまでずっと目の前にあった日常やひととのかかわりあいのありかたが一変して、生活が制限され、いのちがおびやかされる。そんな毎日に、なりつつあることを、肌身に感じているからだ。

だが、そんな状況におちいりつつあるいまだからこそ、新型コロナウイルスが克服されたあとのことを、考えるべきだと思うのだ。より正確にいうならば、そういえば、コロナウイルスなんてあったね、といいあう世の中になったときに、いったい自分は何をしたいのかということをいまから考えておいて、それにむかって、この社会全体が巣ごもりを強いられるときにこそ、たんたんと爪をといでおこう、ということを思うのだ。

このような状態になって、わたしは逆説的に、わたしたちはとても自由な存在なのだということに気が付いた。わたしは、わたしたちは、多くの自由をもっていて、好きなときにどこへでも行けたし、自分の気持ちひとつで、なんだってできたのだということを、いま、痛いほどに思う。なんともないと思っていた毎日だったけれど、いままで当たり前に存在していた世界や身のまわりの出来事は、どれもきらきらとかがやいていたのだ。

そんな日常がかえってきたときに、いったい何をしたいのか。どんな毎日をおくりたいのか。自分に正直になって、じっくりと考えてみる。そのような時が、いまなのかもしれない。
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