高山宏 學魔_nonbot 身内と胎内 『失われた庭』の僕 129~131

身内と胎内 『失われた庭』の僕 129): 下手な社会学などよしにしてもらいたいと大方の読者は思うだろう。自分の中絶をこんな論法で位置付けないといけない女って何、と。そういう浮世離れし、「古今東西の文学を読み返した」「もろもろの雑多な知識」で観念肥大を病んだ女のたわごと、と。

身内と胎内 『失われた庭』の僕 130): そういう愚かしい哲学、それを表現する舌ったらずの論法と修辞、そうした瑕瑾や愚昧をも丸ごと含んで、この一文に矢川澄子の自作年譜が凝縮されてはいまいか、と思う。

身内と胎内 『失われた庭』の僕 131): そして今、自分自身五十路も半ばをむかえて死と欠如について少しは考え始め、ミクロコズミックなすべてに一片の懐かしみをこめてバイバイを言おうとしているぼくにとって、「ただ問題は子供のことであった」。

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